なぜホモは許されるのか?「アッー派 vs キマシタワー派」

アニメ・サブカル

もう10年以上もネット及びいろいろな匿名掲示板に張り付いているといろいろな世界が見えてきます。

特に良いのは「日本のインターネットは同性愛に関して寛容である」ということです。

単に「そういう話が嫌い」という感情的な嫌悪感のある人はいても、
「宗教的に間違いだから神様と聖書に誓って”偽”であり存在してはいけない」という人まではいません。

外国で欧米のキリスト教圏であれば、宗教的な理由から同性愛は厳しく禁じられています。
特にキリスト教のカトリックは、同性愛を人間の本質に反する宗教上の罪(sin)とする伝統的な傾向が強いです。
それどころか異性交友さえも厳格なので、逆に「人類愛」に目覚めてゲイの人も多いです。
欧米圏では、同性愛となると宗教的信条から全員抹殺したい人だっています。

しかし、日本のネット上では匿名掲示板や書き込み動画サイトを始めとして、ホモセクシャル(homosexual)やレズビアン(Lesbian)のキャラクターや人物のセリフが定型文のように使われます。

しかも、その定型文で行われる会話は驚くほどの統一性があり、荒らされる(反論される)ような「空気」がありません。

この「空気」とは、
「異端なものに触れている」というスリルと、
「ネタとして楽しい」という嗜好性
そこに「自分も共感できる」という調和
3つが均衡を保っている「聖域」なのです。

文章が苦手だったり、コミュニケーションが苦手な人でも、同性愛ワードならば定型文で通じ合えてしまうのです。

私もそうですが、意外とリアルで「やらないか」とか「いいのかいホイホイ着いてきちまって」とか「ウホッ!いい○○!」とか「あぁ…次は○○だ…」とか「やったぜ。」「あっ…(察し)」「あくしろよ(迫真)」「やべぇよ…やべぇよ…」「ホモはせっかち」「ファ!?」「最強とんがりコーン」とかで会話している人は多いように思います。

ついつい口が滑ってしまうんだね。仕方ないね。

ネットのホモネタの歴史1 ~ウホッの時代~

syonben

古くは山川純一(通称:ヤマジュン)の「みそくそテクニック」が有名です。

2002年6月12日~12月に、あやしいわーるど@みらい掲示板にて大きな話題となり、ふたばちゃんねる二次元裏板に飛び火し、
その後、年内にかけて2chでも盛り上がりました。

私もこの頃から見ていたので懐かしい歴史です。

ネットのホモネタの歴史2 ~アッーの時代~

ウホッの時代は2007年にニコニコ動画が誕生するまで続きます。

アッー!という感嘆詞が定着したのは、2007年9月のニコニコ動画における「ガチムチパンツレスリング」の兄貴(ビリー・ヘリントン)の絶頂と、
「るろうに剣心」の海外翻訳版である「フタエノキワミ、アッー!」の相楽左之助の絶叫が最初です。


ここで「アッー!」の二重の産声が上がりました。

一時期、元ネタとして野球の多田野選手(通称TDN)が出演した2002年のホモビデオが挙げられていましたが、ネットで再発掘されて話題になったのは2012年末でアッー!などとは一言も言ってませんでした。

しかし「真夏の夜の淫夢」四章という2001年のホモビデオにおいて野獣先輩(田所)が「ンアーッ!」と咆哮していたので、2011年頃にここで記憶の再合成が行われてしまって広がったのです。

今(2013年現在)ではウホッはあまり使われず、アッーが多用されます。

ネットのレズネタの歴史 ~キマシタワーの時代~

ホモに対する感嘆詞は多様だったのですが、レズの感嘆詞はありませんでした。

それまでは、レズより言い方を柔らかくした「百合」「ゆり」などでカテゴライズされていましたが、2007年にアニメ「ストロベリー・パニック」の涼水玉青(すずみたまお cv清水愛)の「タマリマセンワー」「キマシタワー」が発祥になります。


これもニコニコ動画によって広まったものですが、2009年頃までは定着していませんでした。

コメントによって「キマシタワー」「キマシ」等と書き込まれる(基本的に半角カナ)ことで、感嘆詞として定着しました。

元々恋愛ゲームであっても、深夜アニメであっても、濃厚なホモキャラや濃厚なレズキャラが出演するのは当たり前です。
しかしそんなキャラ付けしてなくてもゴールデンタイムの一般向け作品でさえカップリングを妄想するのがファンの楽しみ方です。

ただキマシタワーのように、今まで隠語のように使われていた「百合」(直球で言うと「レズ」)が形を変えて定着すると、次はそれ自体がキャラクターの属性として市民権を得てきます。

20代前半の女性作者なもり氏の作品である「ゆるゆり」なども、公然と「百合」と今まで隠語として使われていた単語をタイトルにしていますが、女性層から幅広い人気があります。

おそらく2000年頃までなら「百合」とタイトルにつけたら大きな人向けとして認定されたでしょう。

しかしここまで寛容に受け止められるようになったのは、性に関する多様性が広がった証拠なので、良い傾向だと思います。

「アッー派 vs キマシタワー派」の戦争は起こらない

冒頭でアッー!や、キマシタワー!を書き込む人に嫌悪感を感じることはあっても、宗教的信条から存在すらも許さない人がいないのは日本の良い所だと書きました。

これには「異端スリル」「ネタ嗜好」「共感・調和」の3つが「空気」の聖域として均衡を保っているからです。

だからホモは許されるのです。

同じようにアッー派 vs キマシタワー派というのが起こらないのも、理由があります。

それは両者とも「ゲイ」だからです。

ここで、ゲイ、ホモ、レズ、バイの3つの同性愛者の呼称の定義を整理したいと思います。

同性愛の呼称図式

ゲイ(gay:語源は気ままな、気楽なという意味)は主に男と思っている人は多いですが、
厳密にはゲイ(Gay)とは同性愛者全般を指します。女性同士も男性同士もゲイです。

ホモ(Homosexal)は男性が男性を恋愛、性の対象とする方を指します。
ただしホモという呼称に関しては、homo-(同じ・似た)という接頭辞によって遺伝子的な差別的な意味を含むということで、最近ではゲイと使い分けている場合も多いです。

レズ(Lesbian)は女性が女性を恋愛、性の対象とする方を指します。

バイ(bisexual)は「両性愛者」です。男性も女性も恋愛、性の対象に入ります。

ホモとレズは同時にゲイであり、そこで思い悩まなくてもバイという落とし所もあります。

もしゲイという同定義や、バイという部分集合がなかったら戦争が起こっていたでしょう。

この調和の取れた均衡関係の中に、共感と平和があるのです。

次は、私の本家ホームページですが、心理学的な観点から見た同性愛と、この「許される空気」に関して更に掘り下げて記載します↓

(続き)

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